「潤一郎訳 源氏物語 巻二」(紫式部/谷崎潤一郎訳)

主語の省略と敬語の尊重

「潤一郎訳 源氏物語 巻二」
(紫式部/谷崎潤一郎訳)中公文庫

「きのうの日曜日は
おやすみだったので、
昼からお酒を飲んでいました。」
小学生の頃、こんな作文を書いて
先生から叱られました。
もちろん「小学生が酒を飲んでは
いかん!」ではなく、
「この文章には主語がないぞ!
「お父さんは」をちゃんと入れなさい。」
なのですが。
そうです。学校の国語の時間では、
主語の不明確な文章は
指導の対象となるのです。

そう考えると
紫式部の書いた源氏物語は、
どれだけ先生に叱られるか
数え上げればきりが無いはずです。
原文を今、週に一帖ずつ
読んでいるのですが、
主語がある文章を探すのが
大変なくらいです。
主語の省略が
至るところに見られるのです。

国語の先生による赤ペン添削よろしく
主語を丁寧に補ってくれているのが
瀬戸内源氏です。
人間関係がすこぶる理解しやすく、
頭の中に物語がさくさく入ってきます。
ただしその分、
どうしても解説調になり、
日本語が流れていきません。

一方、本書・谷崎源氏
主語の補完を最小限に抑えてあります。
そのため
流麗な原文のリズムを失うことなく、
日本語を味わうことが
できるようになっているのです。

でも、
誰が誰に対して行った言動なのかを
どのように判断するのか?
その手がかりが「敬語」なのです。
日本語の最大の特徴とも言える「敬語」。
谷崎源氏は、
主語の補完を最小限にするとともに、
敬語を最大限尊重したため、
全文敬語で
埋められている感があります。

そうなのです。
敬語が理解できれば、
主語がなくとも人物の関係が
推察できるのです。
狭い人間関係の日本社会、
その中でも狭苦しかったであろう
貴族社会の中では、
行為の主体を明確に言い表すこと自体が
無粋なのでしょう。
敬語を駆使することにより、
明瞭に言い表せないことでさえも
明快に理解しあうことができる。
それが日本語の大きな特性なのです。
源氏物語現代語訳にあたって
谷崎が大切にしたのは、
当時の貴族の使ったであろう
敬語を活かした日本語なのです。

そうか、小学生のとき、
主語が省略されていても、
敬語が使われていれば
叱られずにすんだのか。
「きのうの日曜日は
おやすみだったので、
昼からお酒をお召し上がりに
なっていらっしゃいました。」
花丸っ!

(2020.7.4)

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